東京高等裁判所 昭和26年(ネ)1124号 判決
控訴人は、前述のように東京大学農学部園芸学科第二研究室に介補として勤務していたが、年令すでに六十九才、昭和二十三年六月には介補の職を解かれ、爾後、定職定住の地もなく、農繁期には、郷里居村の桑原政蔵方等に赴き農事の手伝をなし、その余は上京して前述の園芸研究室の好意により、その温室の一隅に起居しているが、もとより仮そめの住居であつて、研究室より常に退去を求められているばかりでなく、控訴人としても、他に収入の道もなく郷里の本件建物に立ち戻り、本件土地を耕作し、老後の生計を立てることを、何よりの急務としている。そればかりでなく、控訴人には、この程まで、医師として静岡県湊の国立病院に勤務していた長男阿部武夫があり、控訴人の妻阿部ひでも同人の許にあつて、その将来に一切の希望をかけて来たが、同人が昭和二十七年六月十一日突如妻子三名を残して死亡したため、一家は同地を引き払い、同人の妻は東京都清瀬病院に附添看護婦として勤務し、遺児を養い、控訴人の妻ひでは、控訴人とともに郷里に帰つて、農業、養鶏等によつて生計を立てて行くことを考慮しなければならないこととなつた。
一方、被控訴人が本件建物に居住するに至つたのは、前述のとおりであるが、その後被控訴人家の事情も何等好転することなく、次女が東京都に出で、月月金員の仕送りをして来る外は、三人の少女を抱え、わずかに近隣の農家の手伝、裁縫等により、生計を立てており、近隣の実兄小野三郎平方も、家族の割合には、家屋敷が手狭まであり、また、被控訴人の復帰をよろこび迎えないような事情もうかがわれる。
以上のような事情を考察すれば、控訴人被控訴人とも、まことに窮迫した事情にあり、本件建物を外にしては、その生活も危殆にひんするような結果さえ考えなければならない。この見地に立つて、前述の解約の申入の効果を判断すれば、真に止むを得ない措置として、前記家屋の賃貸借の一部についての解約の効果を認める以外に適当な方法はなく、この点について、被控訴人は、控訴人、被控訴人の間には、真に協調の可能性もなく、同居生活は却つて本件訴訟以上の悲惨事を惹起するおそれがあると主張し、その成立に争のない乙第四号証によれば、控訴人被控訴人間には、昭和二十二年五月中この建物の明渡に関し紛争があり、被控訴人は控訴人の行為を住居侵入、器物毀棄の罪にあたるものとして告訴したような事実も認められ、当裁判所も、このような事情のもとに、賃貸借の一部の解約を認め結局は同居生活を余儀なくさせるような解決を、決して策を得たものとは考えないが、
幸いに、本件建物の面積が広く(住家の床面積は九十二坪三合、蚕室のそれは二十一坪八合)、しかも、昭和二十二年当時とは異り、控訴人も老令ですつかり弱り果て、またこの度びは妻ひでも郷里に帰り、同人と起居を共にすることを証言している事実をも考慮に入れ、たとえ荒廃した建物ではあつても、適宜これに間仕切等を施こすことにより、お互に不自由を忍びつつも、円満な共同生活を営んで行くことを冀つて、次のように判断する。すなわち別紙目録記載の建物のうち,(一)の建物の南側の八畳、六畳、四畳半を被控訴人等のために、また(二)の建物のうち便所を、共同部分として、いずれもこれを留保し、その余の部分について解約申入の効力を認め、更に同土地のうち(一)の宅地百三十五坪は、その大部分が本件の建物の敷地であることを考慮し、(二)及び(三)の合計三十五坪について、残存する建物の賃貸借の効力が及ぶものとして、これを被控訴人の使用に留保するを適当とする。